切腹刀

気がついたらもう6月。先週部屋の模様替えをするまでは、僕の部屋のカレンダーは1月で時間が止まっていたのに、世間ではすでに5ヶ月が過ぎていたとは。

今日は日本語を教えている男の子の卒業式に招待され、行っていいものかどうか迷いながらも出席してきた。卒業式といっても、とても小さな小学校で、卒業生もわずか7人。そのせいか、すごくアットホーム(死語?)な感じで笑い声が絶えなかった。ここで日本の卒業式しか知らない人に説明だが、アメリカの卒業式で泣く人はほとんどいない。もちろん感極まって泣く人もいるけど、ほとんどの人は笑顔で、観客席からは声援がとんだりする。この辺は、本当に文化の違いだなと思う。

人数が少なかったからか、卒業生一人一人がスピーチをして、その質の高さに驚かされた。やっぱり、こっちの人はプレゼンテーションに慣れるよう訓練されてるんだねー。

さて、そろそろタイトルにある「切腹刀」の話に入ろう。

式には男の子のおばあちゃんも来ていて、僕の隣に座っていた。自己紹介を済ませて座っていると、色々と話しかけてきてくださり、男の子のことや家族のことを話したり、時折僕のことについて質問もしてくださった。

会話の中で、このおばあちゃんの旦那さんが、戦後3年ほど日本に住んでいたことが判明。僕がどこに住んでいたのかたずねると、名古屋、京都、長崎だと、昔を思い出すように話していらした。そして、話は切腹刀へ。

なにやら旦那さんが長崎にいたときに、ある日本人の切腹用の刀を入手したらしい。どういう理由でどういう経路で手に入れたのかまでは聞かなかったけど、いまだにその刀が家にあるそうだ。今はなき旦那さんとおばあちゃんは何度かそれを持ち主に返そうとしたらしいが、刀に書いている名前が、田中、佐藤、中村、、、のようなありふれた名前らしく、返すことができなかったらしい。僕が、今もその刀を返したいかとたずねたら、こうおっしゃった。

「本人に返すことはもう無理でしょうから、せめて博物館などに渡せないものですかね」

うーん、、どうなんだろう。まず、この刀をほしがる博物館があるんだろうか。あるとしても、どうやって探せばいいものか、、、、。そして、もしそのような博物館が見つかったとして、日本刀を郵送なんかできるのだろうか。9・11以降、色々なセキュリティーが厳しくなっているから、まったく見当がつかない。

おばあちゃんの電話番号をいただいたので、まずはその刀を見せていただこうと思う。そこに日本人の名前が書かれていたら、できることを考えてみよう。